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2005/2/12(土)先週の夜、急に発熱し、今日まで一週間寝込んでしまった。かかりつけの医者の検査では、B型インフルエンザということだった。高熱と咳のみならず全身が痛んで、かなり苦しめられてしまった。発病して二日目の夜は、救急車を呼ぼうかと思ったほどだった。これほどひどい症状は未だ経験したことがなかった。「傷み」の前では、世の中のことはもちろん、生きていることも、もうどうでもいような気になってしまった。

2004/1/4(日)書ききれなかった年賀状を大晦日に書いて、元日の朝、少しでも早く届くようにと、本局の郵便ポストに投函に出掛けるのがここ数年慣例化している。三島大社の前を原付バイクで通るのだが、今年も例年のように数多くの人々が初詣に訪れていた。ふと思ったことだが、その参拝者数は、去年の衆議院議員選挙に際し、投票所に出掛けた数よりも多いのではないだろうか。選挙権は二十歳以上とされているのに対し、参拝には何の制限もないから、参拝者数が多くて当然ではあるが、大社には元日だけで約31万人が訪れたというから、そのうちの7割が有権者としても約21万人ということになる。この数は大社周辺の有権者数に匹敵し、さらに投票率は約6割だから、明かに参拝者数は投票者数よりも明かに多いということになる。これは、概して政治家よりも神社に祭ってある神々を信じている、あるいは期待しているということなのだろうか?暮らしが良くなるようにするためには、政治という人為によってではなく、神々に祈る方がいくらかでも期待できるということなのだろうか?私達さえその気になれば、神々という他力に頼らず、政治という自力によって、少しでも生活状況が良くなるだろうにと思ってしまった。

2003/11/25(火)編集者自身が、3000のキリ番を踏んでしまった。「ついに3000番」という思いと「やっと3000番」という二つの思いがある。いろいろとままならないことが多かったけど、それは何もHPに関してのことだけではないので、今後も、"C'est la vie"ということで、「ままならなさ」と格闘することになるんだろうな。それにしても、キリのいい数字というのは、こういう感想を書かせるなんて、マナがあるんだろう。その数字のマナが、古希とか喜寿ということを導いているから、不思議なものだなぁ、って思ったのでした。

2003/10/25(土)最終幹事会が行われ,古希に集う会当日の最終的な打ち合わせを行いました。



2003/2/22(土)第5回幹事会が行われました。白熱した議論(?)に、テーブル上のサンドイッチも乾燥してしまいました。しかし、そのパサパサ感も、また妙味(???)・・・今度はおいしいうちにいただいてしまいましょう。



2003/2/13(木) 昨日の朝日新聞の夕刊に、宇宙の年齢が137億歳だと判明したとあった。さらに、平らな形で,永遠に膨張を続けること、そのエネルギーの組成の割合が、普通の物質が4%、暗黒物質が23%、宇宙定数が73%であるという。球状ではなく、平らに膨張するとはどうしてだろうと思ったが、残念ながらその説明は記されてなかった。いずれにしても、このまま膨張し、物質の量が一定だとすると、やがて宇宙の密度は希薄になり、限りなく無に近づくのだろう。まぁ、どうなろうと、自分の命のあるうちは、何も心配することはないのだが、しかし宇宙というものにも、存在としての時間的限界があるということは、人間の世界観にも少なからず影響してくることになろう。ニヒリズム的傾向が強まるのだろうか
 とはいえ、宇宙のことを考えると、地球上の出来事などはすべて取るに足りない差異のこととして思えてくる。アメリカの軍事力や科学技術力がいかに強大であっても、世界の多くのコンセンサスがなければ,いくら「正義」の看板を掲げても開戦は出来ないだろうし、もし開戦に踏み切っても、戦場現場の報道は結局ブッシュ自身の失脚という結末にしかいたらず、父親の場合と同様、かえってフセイン政権が反米の名の下のナショナリズムに支えられて存続してしまうのかもしれない。しかし、ロシア、フランス、ドイツの共同歩調なんて、日清戦争後の三国干渉以来のことではないかと面白く感じた。これからしばらくは、アメリカ、ヨーロッパ、イスラムの三極構造で世界史は動いてゆくのかもしれない。日本の存在意義はさらに低くなってしまいそうである。"Japan as NO.1"なんて言われたことが夢のようである。

2003/2/1(土) 今のお店を開店する前からカットに来ていた男性のお客さんが久しぶりにお見えになった。勤めていた会社の社長が夜逃げしてしまい、会社は倒産。二ヶ月分の給料未払いのまま、失業者となってしまったという。失業保険はもらえたそうだが、節約のため自分で一度スキンヘッドにしてしまったとか・・・なんとか新しい勤め口が決まり、近日中に出社するということで、カットにやってきたという。ついでに二歳になる一人息子のカットを頼まれた。機関車トーマス君のアップリケがついているだけあって、元気によく動く。案の定、深くハサミが入ってしまった。なので、サービスということにして頂いた。そういえば、もう一人いる。その母親から勤めていた建設会社が倒産してしまい、現在求職中だとうかがった。もう半年来店していない。来て頂けたらサービスできるのだけど、「サービスするから来てよ」等と電話しては、プライドを傷つけてしまいそうでできない。自営業なので、失業者にはなりにくいが、しかし失業者が増えると、やがては開店休業状態に追い込まれることにもなりかねないと思うと他人事ではない。失業保険はもらえないし、その際は家屋敷を売って、昔の人みたいに山にこもるしかないかな・・・失業率が5%以上の社会とは、こういうことかと実感させられた日だった。

2003/1/24(金) 私の顧客の中に、若かりしころ”満鉄”の官舎で新婚生活を送った経験のある84歳の方がいらっしゃる。今日は、パーマの施術の最中、満州の素晴らしい夕陽のことと、隣家の親切な一家のこと、そして同居するようになったの娘夫婦の婿さんに対する辛口批評をたっぷり拝聴してしまった。思い出話に、「そうですねぇ」などと相槌をうちながらシャンプーしている際、相槌にも変化をつけないといけないかなと思い、「ご苦労なさったんですね。」と言ってしまった。ちょっと大きめな声で,「そうなんです。」とおっしゃって、泣き出してしまわれた。(私がよくやる、つまらない気を使ってしくじるケースである。)亡くなったご主人に会いたいと幾度もおっしゃっていたから、きっと、パートナーの口からその言葉を聞きたいんじゃなかろうかと思った。ご主人と眺めた満州の夕陽って、「口には言われない」ほどの美しさだと繰り返されたが、きっと彼女の生涯の中で最高の思い出なんだろう。自分にもそういう最高の思い出となるシーンってあったんだろうかと思うとどうも思いあたらない。齢を重ねるとはっきりしてくるのだろうか?この問いの答は、もっと年をとってからの楽しみになりそう。ちなみに、彼女の帰りの口癖(?)は「生きていたら、また来ます。」である。返事と表情に窮する言葉である。 inserted by FC2 system